今週末、我が家はちょっと特別な“お出かけ”をしてきました。
それは、近所の町内会清掃。…そう、あの、地域の皆さんと一緒にゴミ袋片手に草をむしる、あの行事です(笑)。
我が家の2歳児・こたぷんは、もちろん“町内会”という概念なんて知る由もありません。
「今日、みんなで外行って、お掃除するよ〜」と言われても、「え?草で遊ぶの?ボールはどこ?」くらいのノリだったと思います。
でもね。
この日、わたしはこたぷんの小さな背中から、大きな学びをもらいました。
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軍手片手に、戦闘態勢!?
朝からご近所のおじいちゃん・おばあちゃんたちが、ホウキや熊手を手に集合していく中、うちもエコバッグならぬ“軍手セット”を持って参戦!
こたぷんには、子どもサイズの軍手を1枚だけ渡しました。両手分だとすぐ嫌がるので(笑)片方だけでも戦力になれば…と願いを込めて。
そしたらこたぷん、ママの手を引っ張って草むらの方へズンズン進むではないですか。
そして、何をするかと思いきや、
地面にしゃがみ込み、草をむしる!
…いや、正確には、草を「触る→ちょっと引っ張る→びよーんって抜けない→びっくりする→立ち上がる」って流れなんですが(笑)
周囲のおじいちゃんたちは、それを見てニコニコ。
「おぉ〜、やってるやってる!」と拍手までいただきました。
なんともほっこりした光景に、地域全体があたたかい空気で包まれました。
小さな行動が生む“大きな意味”
もちろん、こたぷんが抜いた草は、1本か2本程度。
それも“草を抜く”というより、“草に挨拶してきた”くらいの可愛いレベルです(笑)
でも、その姿を見て感じたんです。
こうやって地域の人たちと自然な形で関わって、
「ありがとう」「すごいね〜」「頑張ってるね」と声をかけられること。
それが、こたぷんにとってものすごく大きな体験だったと。
「家族だけ」「保育園だけ」の世界ではなく、
“第三の場所”で褒められる経験って、自己肯定感の土台を作る第一歩なんじゃないかなと思ったんです。
核家族時代に失われたもの
今の時代、核家族や共働きが当たり前になってきていますよね。
それ自体が悪いことではないけれど、
その裏で、「地域で子どもを見守る文化」や「多世代とのふれあい」って、どんどん希薄になっている気がします。
昔は、近所のおじちゃんに怒られたり、
おばちゃんにもらった飴玉に喜んだり、
そんな“社会の眼”があったからこそ、親も安心して子育てができていた。
でも今は…
「誰がこの子を見てくれるのか?」と常に親が神経を尖らせていることが増えてきたように感じます。
さいごに:子育てって、“社会”でやるものだと思う
今回の町内清掃のように、
わずか30分でも「社会と接点を持つ」ことは、
子どもにとっても、大人にとっても、とても貴重な経験です。
“子どもが草を抜く”
たったそれだけのことでも、地域の人にとっては癒しになるし、
子どもにとっては「自分も役に立てる」という大きな自信になる。
そして親にとっても、「ひとりじゃない」と思える瞬間になる。
だから、こう思うんです。
子育てを“孤育て”にしないために。
“家族”と“地域”がゆるくつながる仕組みを、もっと増やしていきたい。
こたぷんが草を引っこ抜く、その小さな手の動きには、
未来の社会を少しずつ優しくしていく力がある――
そんな気がしてなりませんでした。
それでは今日も元気にいってらっしゃーい(`・ω・´)ゞ
あるいはおやすみなさーい(。-ω-)zzz. . .
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